1964年 奈良県吉野郡天川村生まれ。
1983年 奈良県立吉野高校 建築科を卒業。
同年 ゼネコン(総合建設業)南海建設株式会社に入社。
弱冠18歳の私は、商業ビル、オフィスビルなど とにかく大きな建築物、大きな仕事に魅力を感じて、夢と希望を胸に故郷を飛び出し就職しました。
配属先は東京支店。
田舎者には大きすぎるビルが立ち並ぶ大都会。
山ばかりの田舎とのギャップの大きさに戸惑いながらも見知らぬ土地での生活や現場監督としての仕事にもようやく慣れ、ただがむしゃらに知識を吸収する3年間が過ぎた頃。
仕事は充実していましたが、営業部、設計部の指示だけを受け、作り終えるとすぐ次の現場に行きまた作る、という毎日に、少しずつ何とも言えぬ寂しさを覚え始めます。
お施主様にも実際に使う人にも直接会うことなく、感想も聞かぬまま終えていく日々…。
「お客様と直接会って要望を聞くことはできないのか?本当にお客様に喜ばれているのか自分の目で確認したい!」
という疑問と欲望が芽生え初めました。
とは言え、当時は若く一人では何もできないことはわかっていました。
「ゼネコンで5年間は修行する」
と心を決め、職人さんにもまれながらRC工法・鉄骨工法でのビル・マンション建設現場で昼夜問わず必死で働きました。
1988年 株式会社ヤマヒサ建築事業部が新規展開として求めていた、建築士が住宅営業をするセールスエンジニアというスタンスに大きな魅力を感じ、先輩の紹介を通じて入社。
大阪勤務となります。
お客様と直接会って打ち合わせし、要望に合わせて自分でプランを作っていく、そして完成時にはお客様と共に喜び合えるこの仕事に心底やりがいを感じ、営業設計という仕事を天職だと思うようになりました。
もちろん最初から順調に行ったわけではありません。
思いだすのも恥ずかしい失敗を沢山経験しながら腐らずに続けて行った結果、
「小松さんから買いたいと思った。」
「小松さんになら任せたい。」
次第にお客様からこんなありがたいお言葉を頂くことが増えていきます。
「やっぱり私はお客様の喜びの声、生の声を直接聴きたかったんだ!」
と心おどりながらも、しっかり信頼に答えなければと真摯に取り組んできました。